カテゴリ:人物



30日 5月 2015
日本の歌謡界に大いなる影響を及ぼした作曲家「服部良一」と、戦後、テレビ台頭と主にお茶の間の人気者になった「坂本九」のプログラムです。   懐かしい写真を見せながらプログラムを進めていきます。 視覚刺激は早い反応があり、リアルに当時のことを思い出すことができますね。 服部良一は明治40年生まれ。...
14日 3月 2015
今回は100歳の現役写真家の笹本恒子さんの著書から 笹本さんの「ひとりで楽しく暮らす、5つの秘訣」を 紹介しながらのプログラムです。 右の著書は笹本さんが97歳の時に書いたもの。 それから3年がたち、現在は100歳です。 写真がたくさんありますので、印刷してお見せしながらプログラムをすすめていきましょう。...
19日 1月 2015
11月にとても悲しい訃報がありました。 「高倉健」享年83歳。 日本堅気の、そして世界の健さん、 「不器用ですから」 もうこの声聞くことはできません。 でも、私たちは健さんからたくさんの感動を貰いました。 ありがとう健さん、どうぞ安らかに・・ 今回は「高倉健 幸せの黄色いハンカチ」というプログラムを作ってみました。 歌唱活動...
18日 1月 2015
2014年9月7日、李香蘭こと山口淑(よし)子さんが亡くなりました。94歳。 今回のプログラムは「李香蘭」。彼女の人生を歌で紹介していきます。 李香蘭、さあ彼女は日本人でしょうか、中国人でしょうか? 高齢者の皆さんに聞くと、「中国人」「日本人」と半々です。 そんなことから話を始めていきましょう。 山口淑子は日本人です。 大正9年、満州で生まれました。...
16日 1月 2015
島倉千代子さんが亡くなりました。彼女の歌はとても繊細でやさしく、男性にも女性にも受け入れられています。また、作詞家の岩谷時子さんも亡くなりました。岩谷時子は顔は知らなくても名前は知っている方がたくさんいます。生前は越路吹雪のマネージャーをして多くのシャンソンを和訳しました。また、たくさんの歌手に詞を提供しています。今回は「島倉千代子、岩谷時子を偲んで」のプログラムを作りました。 歌唱活動 この世の花 西条八十作詞 万城目正作曲 島倉千代子歌 昭和30年 島倉千代子のデビュー曲です。16歳でした。デビュー曲で200万枚レコードが売れました。一躍スターになったのです。今でいえばアイドルですね。 切ない初恋を歌った歌です。歌詞に共感する方が多くいます。中には「私にも好きな人がいたんだけど親の決めた人と一緒になるしかなかった」と話される方がいました。戦争があって希望や夢が砕かれた方も多いことでしょう。しかし、よくよく思いだすと、ちょっぴり切ないけれど今では懐かしく思われることを経験している方も多いのだろうなあ、と感じています。 東京だよおっ母さん 野村俊夫作詞 船村徹作曲 島倉千代子歌 昭和33年 19歳の時の歌です。150万枚を記録し、この年の紅白歌合戦に初出場しました。 おっ母さんと手をつないで歩くことを、歌の中で実現することができます。涙される方も多い歌です。 からたち日記 西沢爽作詞 遠藤実作曲 島倉千代子歌 昭和33年 好きだとも言わずにただ一つの傘の中。自分にもそんなことがあったような気持ちになりますね。 歌の中に台詞があります。一緒に読むのもいいですね。 おまえに 岩谷時子作詞 吉田正作曲 フランク永井歌 昭和50年  次は岩谷時子の作品です。歌う前に岩谷時子のことを白板に書きながら少し説明してから歌うのがいいでしょう。 女性は歌い終わるとうっとりしてしまいますね。 フランク永井は低音の魅力と言われ、とても歌唱力があります。ぜひ動画をご覧ください。 君といつまでも 岩谷時子作詞 弾厚作作曲 加山雄三歌 昭和40年 岩谷時子は加山雄三の歌をたくさん書きました。弾厚作とは加山雄三の作曲する時のペンネームです。 かつて結婚式の定番ソングでした。歌の中の台詞は有名ですね。これもぜひ動画をご覧になってください。鼻の横をこすりながら恥ずかしそうに言うのが人気でした。 台詞は楽しいので、男性職員にお願いして、参加者の女性に向けて言ってもらいましょう。笑顔でいっぱいになりますよ。 楽器活動 サン・トワ・マミー 岩谷時子訳詞 サルヴァトール・アダモ作曲 越路吹雪歌 昭和39年 名前やメロディは知っていても歌える人は少ないかも知れませんが、前に立つ人がしっかり歌えば大丈夫です。シャンソンを歌えたことで自信につながります。 いちど歌った後で鈴を配ります。この時、歌詞は剥がしましょう。参加者は楽器にだけ集中することが大事です。鳴らすリズムは「チャチャチャ」です。 「二人の恋は~ チャチャチャ 終わったのねぇ~ チャチャチャ」という具合です。4拍目から入れます。 これだけでは単調になってしまいます。両手で鳴らす、右手、左手と持ち替えて鳴らす、などなどいろいろアレンジして鳴らしましょう。ずっと鳴らし続けるのは疲れますので休みの時間があってもいいかもしれません。 楽器活動については会員登録の上「音楽療法のヒント!」をご覧ください。 鑑賞 愛の讃歌 岩谷時子訳詞 エディット・ピアフ作曲 越路吹雪歌 昭和27年 越路吹雪といえばこの歌が真っ先に思い出されます。シャンソン独特の語りのある歌唱を動画でぜひご覧ください。 
16日 1月 2015
《影を慕いて》を鑑賞&歌唱したところ、あまりに評判がよく、高齢者の皆さんがとてもお好きだということが分かりました。そこで今回は「古賀政男」を特集するプログラムです。明治37年11月18日生まれ、ということで、生きていれば109歳です。生まれたのは福岡県。子どもの頃から大正琴やマンドリンに親しみます。彼が主催した明治大学のマンドリン倶楽部はあまりにも有名ですね。このようなデータを白板に書くと「へ~」と感嘆の声があがります。ぜひ、言うだけじゃなくて書いてください。 今回は古賀政男の初期の曲を集めました。 歌唱活動 影を慕いて 作詞作曲古賀政男 藤山一郎歌 昭和6年  バイオリンでメロディを弾きはじめると、歌詞を貼ってもいないのに歌い出す人がいます。一人や二人ではありません。認知症の方もよく歌えます。 古賀政男が26歳の時、デビュー曲です。佐藤千夜子がマンドリンで演奏されたこの曲を良いと褒め、レコードに吹き込みましたが、あまり売れませんでした。その後、藤山一郎が吹き込み大ヒットになりました。それから二人はたくさんのヒットを生みました。 トレモロとはマンドリンの奏法です。質問されたら答えられるように調べておきましょう。 丘を越えて 島田芳文作詞 古賀政男作曲 藤山一郎歌 昭和6年 《影を慕いて》は悩める青春の歌でしたが、こちらは明るい希望に満ちた青春歌です。この曲ももとはマンドリンのために書かれました。 藤山一郎の張りのある声がこの歌を一層明るくしています。 酒は涙か溜息か 高橋鞠太郎作詞 古賀政男作曲 藤山一郎歌 昭和6年 以上3曲は同じ年に発売されました。どれも大ヒット曲となりました。 こちらは歌詞がたった2行しかありません。行間にある様々な思いや情景を思い浮かべることが大切です。 悲しい恋、誰もが経験できることではないでしょう。しかし、歌はあたかもそんな恋をしているかのように、自分をその歌の主人公にすることができます。 サーカスの唄 西条八十作詞 古賀政男作曲 松平晃歌 昭和9年 この歌は懐かしがる人が多いです。 高齢者の方々が子どもの頃、サーカスは村や町のお祭りなどの時にやってきて、広場や空き地お寺の境内などにテントを貼って興行をしました。「曲馬団」と言ったと思いだす方もいました。また、《美しき天然》のメロディをクラリネットで吹いていたことを思い出す方もいました。旅芝居、見世物小屋と並び、庶民の娯楽だったのです。 「遅くまで遊んでるとサーカスに連れて行かれるよ」「言うこときかないとサーカスに売っちゃうよ」などと言われたことがある人も多く、切なく懐かしい思い出があふれます。 二人は若い サトウ・ハチロー作詞 古賀政男作曲 ディック・ミネ&星玲子歌  昭和10年 これからの3曲は古賀メロディの中でもとても楽しく明るい曲です。「これもそうなのか~」と皆さん意外に思われるでしょう。 歌詞の特徴を生かしてアクティビティ活動をしましょう。 アクティビティ活動については会員登録の上「音楽療法のヒント!」をご覧ください。 ああそれなのに 星野貞志(サトウ・ハチロー)作詞 古賀政男作曲 美ち奴歌 昭和11年 芸者の美ち奴が歌いました。 歌詞の内容を楽しく話しあいましょう。みんなニコニコして発言も面白いですよ。 うちの女房にゃ髭がある 星野貞志(サトウ・ハチロー)作詞 古賀政男作曲  美ち奴歌 昭和11年 こちらも楽しい歌です。「いや 別に 僕は そのあの」のところは台詞のようにして歌う(読む)のがいいとおもいます。みなさんにはこの主人公になったつもりで台詞を読んでもらいましょう。 東京ラプソディ 門田ゆたか作詞 古賀政男作曲 藤山一郎歌 昭和11年 1番は銀座の柳とティールーム(今ならカフェですね)、2番は神田とニコライ堂、3番はジャズの浅草、3番は新宿とダンサー、と続きます。東京はいつになっても憧れの町なのでしょう。 歌詞の特徴生かして楽器活動をしましょう。 楽器活動については会員登録の上「音楽療法のヒント!」をご覧ください。 青い背広で 佐藤惣之助作詞 古賀政男作曲 藤山一郎歌 昭和12年 「背広」という言葉が懐かしいですね。今なら「ジャケット」でしょうか。 夢と若さにあふれる歌です。  
16日 1月 2015
「島倉千代子」、今回は彼女を切り口に意外な同級生つながりのプログラムを考えてみました。 島倉千代子は昭和13年3月30日生まれの75歳です。これを白板に書くと、そこでいろいろな感想が聞こえてきます。「もうそんな歳になったんだ」「まだ若いね~」「私と同い年だ」 75歳になっても現役で歌っているって素晴らしいですね。...
16日 1月 2015
あるデイサービスの方から「先生、こんな歌知ってる?」と尋ねられました。 「♪岸の柳は風まかせ 好き~なあの娘は口まかせ え~え~しょんがいな あ~しょんがいな」と手拍子をしながら歌います。 すると、隣の人も「知ってる知ってる」と言い、一緒に歌いだしました。 どんどん広がってみんなが歌います。 まだまだ、私の知らない歌がありました!...
16日 1月 2015
101歳の詩人、柴田トヨさんを偲んで「柴田トヨ詩と音楽」というプログラムを考えました。 行ってみると、101歳という高齢ということ、90歳から詩を書き始めたこと、詩の内容を高齢者の方々が自分に置き換えて考えることができたこと、などなどいろいろな要素が加わり、しっとりとした素敵な音楽療法の時間となりました。...
14日 1月 2015
「森光子」さんのプログラムを考えてみました。 森さんは大正9年生まれ。 施設には同じ年の方がたくさんいらっしゃいました。 ご自身の人生と照らし合わせて受け止める、そんなプログラムとなりました。

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