古賀政男

《影を慕いて》を鑑賞&歌唱したところ、あまりに評判がよく、高齢者の皆さんがとてもお好きだということが分かりました。そこで今回は「古賀政男」を特集するプログラムです。明治37年11月18日生まれ、ということで、生きていれば109歳です。生まれたのは福岡県。子どもの頃から大正琴やマンドリンに親しみます。彼が主催した明治大学のマンドリン倶楽部はあまりにも有名ですね。このようなデータを白板に書くと「へ~」と感嘆の声があがります。ぜひ、言うだけじゃなくて書いてください。

今回は古賀政男の初期の曲を集めました。

 

 

 

 

 

歌唱活動

  • 影を慕いて 作詞作曲古賀政男 藤山一郎歌 昭和6年

 バイオリンでメロディを弾きはじめると、歌詞を貼ってもいないのに歌い出す人がいます。一人や二人ではありません。認知症の方もよく歌えます。

古賀政男が26歳の時、デビュー曲です。佐藤千夜子がマンドリンで演奏されたこの曲を良いと褒め、レコードに吹き込みましたが、あまり売れませんでした。その後、藤山一郎が吹き込み大ヒットになりました。それから二人はたくさんのヒットを生みました。

トレモロとはマンドリンの奏法です。質問されたら答えられるように調べておきましょう。

 

  • 丘を越えて 島田芳文作詞 古賀政男作曲 藤山一郎歌 昭和6年

《影を慕いて》は悩める青春の歌でしたが、こちらは明るい希望に満ちた青春歌です。この曲ももとはマンドリンのために書かれました。

藤山一郎の張りのある声がこの歌を一層明るくしています。

 

  • 酒は涙か溜息か 高橋鞠太郎作詞 古賀政男作曲 藤山一郎歌 昭和6年

以上3曲は同じ年に発売されました。どれも大ヒット曲となりました。

こちらは歌詞がたった2行しかありません。行間にある様々な思いや情景を思い浮かべることが大切です。

悲しい恋、誰もが経験できることではないでしょう。しかし、歌はあたかもそんな恋をしているかのように、自分をその歌の主人公にすることができます。

 

  • サーカスの唄 西条八十作詞 古賀政男作曲 松平晃歌 昭和9年

この歌は懐かしがる人が多いです。

高齢者の方々が子どもの頃、サーカスは村や町のお祭りなどの時にやってきて、広場や空き地お寺の境内などにテントを貼って興行をしました。「曲馬団」と言ったと思いだす方もいました。また、《美しき天然》のメロディをクラリネットで吹いていたことを思い出す方もいました。旅芝居、見世物小屋と並び、庶民の娯楽だったのです。

「遅くまで遊んでるとサーカスに連れて行かれるよ」「言うこときかないとサーカスに売っちゃうよ」などと言われたことがある人も多く、切なく懐かしい思い出があふれます。

 

  • 二人は若い サトウ・ハチロー作詞 古賀政男作曲 ディック・ミネ&星玲子歌

 昭和10年

これからの3曲は古賀メロディの中でもとても楽しく明るい曲です。「これもそうなのか~」と皆さん意外に思われるでしょう。
歌詞の特徴を生かしてアクティビティ活動をしましょう。

アクティビティ活動については会員登録の上「音楽療法のヒント!」をご覧ください。

 

 

  • ああそれなのに 星野貞志(サトウ・ハチロー)作詞 古賀政男作曲 美ち奴歌

昭和11年

芸者の美ち奴が歌いました。

歌詞の内容を楽しく話しあいましょう。みんなニコニコして発言も面白いですよ。

 

  • うちの女房にゃ髭がある 星野貞志(サトウ・ハチロー)作詞 古賀政男作曲 

美ち奴歌 昭和11年

こちらも楽しい歌です。「いや 別に 僕は そのあの」のところは台詞のようにして歌う(読む)のがいいとおもいます。みなさんにはこの主人公になったつもりで台詞を読んでもらいましょう。

 

  • 東京ラプソディ 門田ゆたか作詞 古賀政男作曲 藤山一郎歌 昭和11年

1番は銀座の柳とティールーム(今ならカフェですね)、2番は神田とニコライ堂、3番はジャズの浅草、3番は新宿とダンサー、と続きます。東京はいつになっても憧れの町なのでしょう。

歌詞の特徴生かして楽器活動をしましょう。

 

楽器活動については会員登録の上「音楽療法のヒント!」をご覧ください。 

  • 青い背広で 佐藤惣之助作詞 古賀政男作曲 藤山一郎歌 昭和12年

「背広」という言葉が懐かしいですね。今なら「ジャケット」でしょうか。
夢と若さにあふれる歌です。

 


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