101歳の詩人、柴田トヨさんを偲んで「柴田トヨ詩と音楽」というプログラムを考えました。
行ってみると、101歳という高齢ということ、90歳から詩を書き始めたこと、詩の内容を高齢者の方々が自分に置き換えて考えることができたこと、などなどいろいろな要素が加わり、しっとりとした素敵な音楽療法の時間となりました。
必ずみんなで音読をして、詩の意味を共有してから歌に入りましょう。
詩は歌詞と同様、摸造紙に毛筆で書きました。
トヨさんの詩をまだ読んでいない方がいらっしゃいましたら、ぜひ一度お読みください。
このほかにもたくさん素晴らしい詩が載っています。
詩の音読と歌唱活動
「溶けていく」
ポットから
注がれる
お湯は
やさしい
言葉のようだ
私の心の角砂糖は
カップのなかで
気持よく
溶けていく
- 一杯のコーヒーから 藤浦洸作詞 服部良一作曲 霧島昇・ミスコロムビア歌
昭和14年
4番に「角砂糖2ついれましょか」という歌詞があります。この詞のように温かいコーヒーを飲んだように心も温かくなるような歌です。
「化粧」
倅が小学生の時
お前の母ちゃん
きれいだなって
友達に言われたと
うれしそうに
言ったことがあった
それから丹念に
九十七の今も
おつくりをしている
誰かに
ほめられたくて
- 紅屋の娘 野口雨情作詞 中山晋平作曲 佐藤千夜子歌 大正13年
口紅、ほお紅と言いますね。当時のお化粧品はどんなものだったのでしょうか。お聞きしてみましょう。
いつになっても女性は「きれいだ」と言われたいもの、男性の参加者や男性職員に女心を分かってください、と冗談交じりにお話しすると、女性の参加者も男性の参加者も笑顔があふれます。
「思い出」
子どもと手をつないで
あなたの帰りを
待った駅
大勢の人の中から
あなたを見つけて
手を振った
三人で戻る小道に
金木犀の甘いかおり
何処かの家から流れる
ラジオの歌
あの駅あの小道は
今でも元気で
いるかしら
- あの町この町 野口雨情作詞 中山晋平作曲 大正14年
今回の詩の中で一番参加者の涙を誘ったのがこの詩でした。
家族三人の幸せそうな姿、顔が目に浮かびます。金木犀の香りを思い出します。そういえばこの頃はラジオしかなかった。
私たちの幸福とは結局こういう瞬間なのではないか、と考えさせられました。
「朝はくる」
一人で生きていく
と 決めた時から
強い女性になったの
でも 大勢の人が
手をさしのべてくれた
素直に甘えることも
勇気だと わかったわ
(私は不幸せ・・・)
溜息をついている貴方
朝は必ずやってくる
朝陽も
射してくる筈よ
- 朝だ元気で 八十島稔作詞 飯田信夫作曲 柴田睦陸・藤原亮子歌 昭和17年
ラジオ歌謡の1曲です。私は子どもの頃学校で歌った記憶があります。その時は歌詞の一部が変更されていましたが、音楽療法ではオリジナルのほうを歌いましょう。
最初の部分を歌うと、思い出して次々と歌声が広がります。
「先生に」
私を
おばあちゃん と
呼ばないで
「今日は何曜日?」
「9+9は幾つ?」
そんなバカな質問も
しないでほしい
「柴田さん
西条八十の詩は
好きですか?
小泉内閣を
どう思います?」
こんな質問なら
うれしいわ
- 蘇州夜曲 西条八十作詞 服部良一作曲 李香蘭(渡辺はま子)歌 昭和15年
私たちもこの詞を読み姿勢を正さなくてはいけません。
とても美しい詩とメロディのこの曲は鑑賞として演奏してから歌うのもいいですね。私はヴァイオリンで演奏してから歌唱しました。
「くじけないで」
ねえ 不幸だなんて
溜息をつかないで
陽射しやそよ風は
えこひいきしない
夢は
平等に見られるのよ
私 辛いことが
あったけれど
生きていてよかった
あなたもくじけずに
- ここに幸あり 高橋掬太郎作詞 飯田三郎作曲 大津美子歌 昭和31年
この詩で震災に遭われた方が随分救われた、とききました。
この歌は男性も女性も大好きです。今回の音楽療法の最後にふさわしい曲ではないかと思います。
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