李香蘭

2014年9月7日、李香蘭こと山口淑(よし)子さんが亡くなりました。94歳。

今回のプログラムは「李香蘭」。彼女の人生を歌で紹介していきます。

 

李香蘭、さあ彼女は日本人でしょうか、中国人でしょうか?

高齢者の皆さんに聞くと、「中国人」「日本人」と半々です。

 

そんなことから話を始めていきましょう。

 

山口淑子は日本人です。

大正9年、満州で生まれました。

父は満鉄(満州鉄道)社員、母は当時女性では珍しかった大学での才女で、淑子にピアノ、ヴァイオリン、声楽を習わせました。

父は中国語をしっかりと話せるようにし、いずれは政治家になって欲しいと願っていました。

 

右の写真は李香蘭です。目がぱっちり、本当に美しい方ですね。

この写真を見せると、みなさん目を細めて、「きれいね~」「なつかしいわ」と言います。実際に見ることで、リアルに考えることができます。

 

  • 支那の夜 西条八十作詞 竹岡信行作曲 渡辺はま子歌 昭和13年

李香蘭の代表曲はなんでしょうか?と聞いてみましょう。

『支那の夜』『夜来香』と答えた人が多かったようです。

『支那の夜』は渡辺はま子がレコードを吹き込みました。

映画「支那の夜」の中では李香蘭が歌っています。

相手役は長谷川一夫です。

下の映像をお時間のある時にご覧ください。きっと役に立ちます。

  • 知床旅情 森繁久弥作詞作曲 加藤登紀子歌 昭和45年

声楽の勉強を始めると、努力家の彼女はメキメキ上達し、ついには先生のリサイタルの前座で歌うことを許されるまでになりました。

そして、満州の放送局の専属歌手になりました。

その放送局のアナウンサーを務めていたのは森繁久弥でした。

森繁久弥は大正2年生まれ。彼女とは7歳違いです。

知床旅情は森繁久弥が作詞作曲した歌です。

 

 

  • 荒城の月 土井晩翠作詞 滝廉太郎作曲 明治34年

『荒城の月』は彼女が得意とした歌でした。

戦地で兵隊さんに慰問演奏する時は、この歌で始まったそうです。

下の映像は映画「暁の脱走」のワンシーン。慰問の様子が想像できますね。

あるデイサービスで、実際に上海で李香蘭の慰問演奏を聴いた、という方のお話しを聞くことができました。

「いやあ、雲の上の人だったからね~」と言い、音楽療法のあとのお茶の時間にもこの頃の思い出を語ってくれました。とても貴重なお話しを聞くことができました。

「上海や蘇州はきれいなところだったよ」「蘇州には桜があって、春になるととても綺麗なんだ」

 

ベルの旋律奏をしましょう。

楽器活動については会員登録の上「音楽療法のヒント!」をご覧ください。

 

 

  • 蘇州夜曲 西条八十作詞 服部良一作曲 

         渡辺はま子歌 昭和15年

映画「支那の夜」の主題歌です。

放送局の専属歌手になった彼女に「女優にならないか」との申し出がありました。ただし、日本人ではなく中国人だということで女優になるという条件が付いていました。

19歳頃のことです。

李香蘭の中国語は現地の人との間違うほどすばらしいものでした。

彼女は深く考えずに女優になることを決め、たくさんの映画に出演しました。

この曲は映画「支那の夜」のなかで、長谷川一夫扮する軍人と蘇州でデートをします。その時にバックに流れていたのはこの歌です。

 

  • 宵待草 竹久夢二作詞 多忠亮作曲 大正7年

人気の高かった彼女が日劇でコンサートをすることになりました。

昭和16年のことです。彼女の姿を一目見ようと、2月11日、紀元節のお祝いに皇居に行った人たちが、有楽町に流れてきて、日劇の回りを7回り半もとりまいたそうです。

そんな彼女のレパートリーの1曲です。

 

  • 湖畔の宿 佐藤惣之助作詞 服部良一作曲 

         高峰三枝子歌 昭和15年

戦争が終わり、彼女は上海に住んでいましたが、中国政府に捕らえられてしまいます。中国人と思われていた彼女は、日本の映画に出演してたことで「売国奴」と濡れ衣をきせられます。

囚われていた彼女を救ったのは、幼なじみのユダヤ系ロシア人のリューバでした。リューバは日本の戸籍謄本を取り寄せ、彼女に渡します。

こうして命を救われた李香蘭はアメリカに渡りミュージカル映画に出演したりしましたが、やがて帰国し、ワイドショー「3時のあなた」の司会を務めます。

この時、すでに司会をしていたのが高峰三枝子でした。

高峰三枝子は大正7年生まれ。李香蘭より2歳年上です。

『湖畔の宿』と『蘇州夜曲』は同じ昭和15年のヒット曲です。

二人は違ったキャラクターでしたが、女優であり歌手でありました。

 

  • 夜来香 佐伯孝夫訳詞 黎錦光作曲 李香蘭歌 昭和19年

中国の有名な作曲家の黎錦光が作曲し、中国で大ヒットとなりました。日本では昭和25年に山口淑子の名前でレコーディングしています。

歌は知っているが歌えない方が多いかも知れません。CDや演奏で紹介するだけでもいいとおもいます。知っているところは歌える方もいます。

 

李香蘭についてはこちらの本を参考にしました。


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