「音楽で脳はここまで再生する」奥村歩著
この本には認知音楽療法により、
脳損傷された患者さんたちが、回復の兆しがあったり、
実際に回復されたりする事例も書かれています。
読むたびに感動してしまいます。
このような事例を知ることは、音楽療法士にとって、
とても心強く、励みになりますね。
くじけてしまいそうになる時も、自分を信じて進んでいこう、と思い直すことができます。
読んでない方ぜひぜひ読んでみてください。
実は私にも、以前行った個人音楽療法で、
信じられないほどの回復をされた患者さんがいます。
音楽が病気や障がい、悩みや迷い、などに効果があることを信じて頑張れる、今の私の原点となるケースでした。
新しく生まれ変わった「Smile Musicのヒント!」の最初の記事ですので、
少し長くなりますが書きますね。
音楽療法士を目指している、あるいは音楽療法士だが今のままでいいのか不安である、などと思われている方が、
これを読んで、希望を持ってくださったら幸いです。
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その方はAさん、当時57歳、男性です。
入所されていたのは老人保健センターです。
私はフリーの音楽療法士ですから、その老健との契約は
月に1度の音楽療法のセッションを各フロア(1階から3階まで)で行うことと、
失語症や言語障がいの方へのセッションが月に2回ありました。
Aさんは、脳こうそくの後遺症で、辛うじて右腕・手指が動く程度。
左腕・両足は麻痺しています。
辛うじて動く右腕も、廃用症候群により拘縮していました。
Aさんは病院を退院されて、老健に入所されたばかりの頃は、
右のようなストレッチャー型車いすの背もたれを倒して、寝ている状態でした。
名前を呼び掛けても返事がなく、目も開きませんでした。
私はその時、この方は相当重篤なのだな、と感じました。
それほど反応が弱かったのです。
Aさんは自分のフロアの音楽療法と、失語症の方々への音楽療法(計3回)を受けることになりました。
始めの頃、音楽療法が終わり、言語聴覚士がリハビリのお誘いのため、Aさんに声をかけました。
すると、Aさんは声を振り絞り怒ったように「いやだ」「やめろ」と言ったのです。
私は驚きました。そして言語聴覚士に尋ねました。
「Aさんは話せるの?」
すると言語聴覚士は「いやだ、とかは言うんです」とのことでした。
それを聞いた時、私はAさんは本当はもっと話せるに違いない、と思ったのです。
Aさんに個人音楽療法をしたらどうだろう、
Aさんには個人音楽療法が必要だ、
と考えた私は、
看護部長に直々にお願いをしました。
当時の看護部長は音楽にとても理解のある方でした。
すぐに聞き入れてくれ、さらにはカルテまで見せてもらえることになりました。
Aさんは作業療法や言語療法に拒否がありました。
Aさんは口内に麻痺があって、嚥下障がいのため、胃瘻状態になっていましたが、言語療法は全く受け入れませんでした。
MMSEなどの判定もとても悪く、重い認知症とうことになっていました。
個人音楽療法は昼食後、13時から30分。週に1回と決まりました。
Aさんの妻によると、お元気なころは二人でよくカラオケで歌ったそうです。
Aさんは歌がすごく上手かったと、歌声の入ったテープを貸してくれました。
それを聴くと、表現力があってとても力強い歌声でした。
ならば妻も音楽療法に参加していただこうということになりました。
私は個人音楽療法の目的を以下のように設定しました。
「夫婦で楽しい時間を共有し Aさんの表情を豊かに、リハビリや日常生活に意欲的になる」
この個人音楽療法では回想法的手法を用いました。
Aさんの人生を歌とともに振り返ったのです。
なかなかお話ししてくれなかったAさんも
徐々にうちとけてポツリポツリと話してくれるようになりました。
そうなのです!
Aさんはちゃんと話せるし、頭脳も明晰でした。
じゃあ、なぜMMSEの結果が悪かったのでしょうか?
みなさん、おわかりですよね。
Aさんは55歳で最初の脳梗塞になり、私と会ったときは57歳、
すでに2年の月日が経っています。
まだまだこれからどんなことでもできたし、いろいろな夢があったと思うんです。
それなのに、寝返りさえ自分ではできない、そんな体になってしまいました。
そうです、彼は「絶望」という重い重い心の病気になっていたのです。
こうしてAさんは自分の人生を自分自身の言葉で考え、語りました。
父母のこと、子供の頃のこと、旅行に行ったいろいろな土地、仕事のこと、奥様とのなれそめ・・
そしてたくさんの涙を流しました。
回想法の締めくくりとして替え歌を作ることを提案しました。
お二人でよく歌った『おしどり人生』と『会津の小鉄』の替え歌です。
私が作ってみたものに、Aさんや妻ももいろいろアイディアを出し、いい替え歌になりました。
結果として
Aさんは
歌は息が長く続くようになり、途切れずに歌えるようになりました。
言語療法などリハビリの拒否がなくなりました。
職員やほかの入居者を名字で○○さん、と呼ぶようになりました。
笑顔になり、冗談を言うようになりました。
口から食べたい、車いすで自走できるようになりたい、と希望を言うようになりました。
妻は
「この頃は笑顔で話せるので会いに来るのが楽しくなった」
「一緒になって悔いはない」
と話しました。
その後も、Aさんのリクエストにこたえる形で歌を歌う事を中心としたセッションが続きました。
失語症の方々との集団セッションも引き続き受けていました。
こうして1年4か月が過ぎ、
Aさんはついに胃瘻を外し、固形物を食べられるようになりました。
よだれが少なくなり、痰を自分で切ることができるようになりました。
大便を足を踏ん張って自力でできるようになりました。
次の目標は「歩きたい」と言いました。
ですが、こんなに元気になったAさんは、老健に引き続き入所できなくなりました。
音楽療法を始めてから2年2か月たった頃、別の入居型の施設に移ってしまいました。
こうして、Aさんの音楽療法は終了しました。
最後になりましたが、Aさんが私にしてくれた最初の言葉をご紹介します。
それは・・・
「ありがとう」
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ばーば (水曜日, 04 3月 2015 16:24)
解りやすくとても説得力がある実例でした。
REIKOさんの語りかけや運び方、もちろん音楽療法の効用ですね
人間は変われる、医者だけでなく音楽の力ですね。もっともっと実例を伺いたくなりました。
Reiko (金曜日, 06 3月 2015 10:14)
ばーば様
いつもコメントありがとうございます!
Aさんのケースのように個人音楽療法にはかなりの効果が期待できると思います。
病気以前に気持ちが落ち込んでいたり、病気を受け入れることができなかったりする方が多いと思うのです。
フリーの限界として、個人音楽療法を申し入れても断られることがたくさんあります。
なのでこのような事例はなかなかありません。
現在、音楽のレッスンということでお二人の方とかかわっています。
もしかすると事例としてお話しできるかもしれません。
しっかりと目的を設定することが大事と思います