「美空ひばり」

5月29日は美空ひばりの誕生日です。

今年(2017年)は生誕80年ということで、記念のコンサートが開かれました。

 

80歳になった美空ひばりの歌はどんなでしょうか。

聴いてみたいですね♡

 

美空ひばりについて、「好き」「歌が好き」「歌が上手い」と言う方が多く、満足度の高いプログラムとなりました。


  • 悲しき口笛 松浦洸作詞 万城目正作曲 美空ひばり 昭和24年

ひばりのデビュー曲。12歳の時です。

写真のいでたちは有名ですね。

最初のヒット曲です。


  • 東京キッド 松浦洸作詞 万城目正作曲 美空ひばり 昭和25年

13歳の時の曲。

歌詞にチューインガム、チョコレートなど当時らしいものが出てきます。

子供の頃、アメリカの兵隊さんにチョコレートなどを貰った、と言う方がいらっしゃいました。

  • 越後獅子の唄 西条八十作詞 万城目正作曲 美空ひばり 昭和25年

越後獅子についてはこちらをお読みください。

孤児の主人公は、越後獅子の親方のところで芸の修行をしています。

撥でぶたれたりして、可哀想な歌詞と、哀愁のあるメロディが涙を誘います。

  • リンゴ追分 小沢不二夫作詞 米山正夫作曲 美空ひばり 昭和27年

15歳の時の曲。

台詞があります。これもみんなで読みたいですね。

追分とは街道と街道の分岐点のことですが、そんな街道を馬を引きながら歌った歌を馬子唄、追分節と言います。

 

原曲を聞きますと伴奏で、馬の「ぱっかぱっか」という足音が聞こえてきますね。

このリズムを使って合奏をしましょう。

楽器活動については会員登録の上「音楽療法のヒント!」をお読みください。

 


  • 港町十三番地 石本美由紀作詞 上原げんと作曲 美空ひばり 昭和32年

20歳の時の曲。

横浜生まれのひばりにとっては、大切な1曲だったことでしょう。

 

昭和30年ころから、雪村いづみ、江利チエミと共に、「三人娘」として、たくさんの映画に出演しました。


  • 柔 関沢信一作詞 古賀政男作曲 美空ひばり 昭和39年

ひばりは昭和37年、25歳の時、俳優の小林旭と結婚をします。

しかし、ステージママの実母の反対もあり、長続きはしませんでした。

2年後に離婚をします。

 

その頃、『柔』が大ヒット。レコード大賞を受賞します。

丁度東京オリンピックが開かれるタイミングでした。

 

  • 悲しい酒 石本美由紀作詞 古賀政男作曲 美空ひばり 昭和41年

離婚後の寂しさを紛らわすために、悲しい酒を呑んだこともあったのでしょうか・・

そんなことを想わされる1曲です。

涙を流しながら歌う方もいらっしゃいます。

 

ひばりはこの歌を歌う時には、必ず涙をポロッと流すのでした。

 

 

  • 愛燦燦 小椋圭作詞作曲 美空ひばり 昭和61年

昭和42年には『真っ赤な太陽』でヒットを飛ばしますが、その後、ヒット曲に恵まれませんでした。

 

実弟の不祥事問題もあり、バッシングを受け、辛い時期が続きました。

 

 

『愛燦燦』は大きなヒットはありませんでしたが、CMで流れたので、ご存知の方は多くいらっしゃいます。

歌詞に「雨潸々」「風散々」「愛燦燦」と3種類の「さんさん(散々はさんざん)」が出てきます。それぞれの意味が違うので、説明できるようにしておきましょう。 

 


  • みだれ髪 星野哲郎作詞 船村徹作曲 美空ひばり 昭和62年

この年、50歳になったひばりは慢性肝炎と両側突発性大腿骨頭壊死症を発症し、入院を余儀なくされました。

3か月後に退院し、2か月の療養後に吹き込んだのが『みだれ髪』です。

 

 

 

  • 川の流れのように 秋元康作詞 見岳章作曲 美空ひばり 平成元年

東京ドームの不死鳥コンサートは、楽屋にベッドを備えながら歌い切りました。

その後、病はひばりの身体を蝕んでいきます。

ついに、平成元年6月24日、52歳で旅立ちます。

 

『川の流れのように』はひばりの最後の曲です。

この歌を聞くと、誰もが自分の人生を振り返るのではないでしょうか。