昭和30年代の歌謡曲

昭和30年代のヒット曲を調べてみると、3人の歌手に集約されます。

三橋美智也村田英雄そして島倉千代子です。

 

 

 

三橋美智也は昭和5年、北海道で生まれました。

母親が民謡歌手で、美智也も5歳で初舞台を踏みます。

そしてなんと9歳で全道民謡コンクールで優勝します。

 

小学校卒業後、国鉄に就職。

働きながら民謡一座で歌い、津軽三味線を勉強しました。

 

19歳で上京。

民謡教室でアルバイト、ボイラーマンの仕事もしていました。

23歳でキングレコードの専属歌手としてデビュー。

1年後には『おんな船頭唄』が大ヒット。

その後も多くのヒット曲を歌い、昭和30年代前半は「三橋で明けて三橋で暮れる」と言われるほどだったそうです。

民謡で培った高い音程とこぶしが魅力の歌声ですね。

「民謡三橋流」の家元となり、門下生には千昌夫、細川たかし、石川さゆりがいます。

 

  • リンゴ村から

矢野亮作詞 林伊佐緒作曲 三橋美智也 昭和31年

 

好きだった人が田舎の町を出ていって幾歳か過ぎてしまいました。

今でも「覚えているかい?」と問いかけます。

歌っていると、主人公の気持ちに共感し、まるで自分のことのように思える名曲ですね。

 

  • 古城

林鞠太郎作詞 細川潤一作曲 三橋美智也 昭和34年

 

冒頭の「松風さわぐ丘の上」で一気に古城の世界に引き込まれます。

松の木が風でザワザワと音を立てています。

栄華の昔の面影も消え、今は石垣も崩れてしまった。

古城はひとり、何を想っているのだろう。

こちらも名曲ですね。

 

  • 哀愁列車

横井弘作詞 鎌田俊与作曲 三橋美智也 昭和31年

 

冒頭の高い音程の伸ばしは三橋美智也ならではと言えるでしょう。

歌うのは難しいので、セラピストが大きな声で歌い、皆をリードしましょう。

 

 


三橋美智也が津軽三味線を弾いている映像です。

『古城』を歌い終わってから、『津軽じょんがら節』になります。

 

 

 

 

 

次は村田英雄です。

昭和4年、佐賀県で生まれました。

三橋美智也より一つ歳上です。

村田英雄も三橋美智也のように、子供の頃から芸を仕込まれていました。

養父母が旅回り一座に入っていたのです。

4歳で初舞台。5歳の時に浪曲師酒井雲に弟子入りします。

13歳で真打になったのですから大したものですね。

20歳で上京し、浪曲師として注目を集めるようになります。

29歳の時、古賀政男に見いだされ、古賀政男作曲の『無法松の一生』でデビュー。

なかなかヒットが出なかったのですが、32歳の時に『王将』が大ヒットしました。

 

 

下の動画は三波春夫と共演した浪曲「義士の本懐」です。

浪曲をご存知ない方はどうぞ。

三味線と二人の浪曲師の息がぴったりですね。

 


  • 無法松の一生

吉野夫二郎作詞 古賀政男作曲 村田英雄 昭和33年

 

浪曲「無法松の一生」は村田英雄の十八番の演目でした。

この曲を受け、三船敏郎と高峰秀子の主演で映画化されました。

浪曲も映画もぜひ一度視聴されることをお勧めします。

 

  • 人生劇場

佐藤惣之助作詞 古賀政男作曲 村田英雄(昭和34年) 楠木繁夫(昭和13年)

 

昭和13年に楠木繁夫が歌った歌を、村田英雄がリバイバルしました。

尾崎士郎の自伝的小説がもとになっています。

男性が好きな歌です。

 

  • 王将

西條八十作詞 船村徹作曲 村田英雄 昭和36年

 

将棋棋士の阪田三吉をモデルにした曲。

ほとんどの人がよく歌えます。

将棋の好きな男性には特に人気があります。

 

 

 

 

3人目は島倉千代子です。

昭和13年、品川区で生まれました。

15歳で日本音楽高等学校に入学、16歳でコロンビア全国歌謡コンクールで優勝し、デビューします。

デビュー曲の『この世の花』は200万枚のヒットとなり、人気歌手となりました。

30年代には『この世の花』『りんどう峠』『逢いたいなァあの人に』『東京だよおっ母さん』『からたち日記』『恋しているんだもん』などたくさんのヒット曲があります。

 

  • この世の花

西條八十作詞 万城目正作曲 島倉千代子 昭和30年

 

島倉千代子の歌はいじらしく純な女心が歌われているものが多く、女性に人気があります。

大正から昭和初期に生れた方々は、見合い結婚が多く、たとえ、好きな人がいても、親の言うことを聞いて結婚する人がほとんどでした。

2番の「想う人には嫁がれず 想わぬ人の言うまま気まま」という歌詞には、そんな意味も含まれているのかもしれませんね。

 

  • 東京だよおっ母さん

野村俊夫作詞 船村徹作曲 島倉千代子 昭和32年

 

お母さんの手を引いて東京見物をします。

1番は二重橋、2番は靖国神社、3番は浅草ですね。

2番の歌詞、「優しかった兄さん」に逢いに行くおっ母さんの気持ちになって、涙する人も多いです。

 

  • からたち日記

西沢爽作詞 遠藤実作曲 島倉千代子 昭和33年

 

想いを寄せる人と相合傘をした経験はありますか?

肩と肩が触れ合ったりしてときめきました。

3拍子、2拍子、4拍子とコロコロ拍子が替わりますが、歌う側には自然に感じられる不思議な曲です。

 

 

 

 

まだ時間があるようなら、下記の中から選んで歌うのもいいかもしれません。

後半は坂本九の活躍が目立ちますね。

どの歌もよく歌える歌です。

 

*昭和30年代のヒット曲*

昭和30年 この世の花、月がとっても青いから、別れの一本杉

昭和31年 リンゴ村から、ここに幸あり

昭和32年 喜びも悲しみも幾年月、港町十三番地、東京だよおっ母さん、有楽町で逢いましょう

昭和33年 無法松の一生、からたち日記

昭和34年 南国土佐を後にして、古城、東京ナイトクラブ、人生劇場

昭和35年 潮来笠、アカシアの雨が止む時

昭和36年 君恋し、銀座の恋の物語、王将、上を向いて歩こう

昭和37年 いつでも夢を、可愛いベイビ―、遠くへ行きたい

昭和38年 こんにちは赤ちゃん、見上げてごらん夜の星を、高校三年生、柔

昭和39年 明日があるさ、アンコ椿は恋の花、皆の衆、お座敷小唄