「美空ひばりを偲んで」

高齢者の方々に人気の高い美空ひばりの半生をプログラムにしてみました。

 

美空ひばりは、昭和12年(1937年)5月29日、横浜市磯子区の魚屋の長女として生まれました。

上手い歌が評判だったので、8歳のとき(昭和20年・終戦)、母親が自前の楽団を作り、公民館や銭湯で歌い始めました。

娯楽が少ない当時は、子どもであっても、うまい歌は人々を喜ばせたのでしょう。

9歳でNHK素人のど自慢大会に出場しますが、「子どもらしくない」で落選してしまいます。

ひばりはあくまでも本格的な歌を歌っていたので、この頃評価は二分したようです。

 

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「永六輔」

7月に永六輔さんが亡くなりました。

 

今回は永六輔さんのプログラムです。

 

永六輔さんの写真を見せ

「今日はこの方のプログラムです」

「誰でしょうか?」

とお聞きすると、

「えっと 誰だっけ?」

「知ってる」

「永六輔だね」

 

など、ニコニコ写真に見入ります。

 

 

 

「永六輔さんの語り口は独特でしたね」

有名なコマーシャルでは

「ゴホンと言えば」・・「龍角散」

「咳・声・喉に」・・「浅田飴」

と途中まで言うと、商品名が皆さんの口から飛び出します。

 

永六輔さんは昭和8年に浅草で生まれました。

浅草の最尊寺の住職の息子です。

まずはそんな話をしながら浅草の歌を歌いましょう。

 

  • すみだ川 佐藤惣之助作詞 山田栄一作曲 東海林太郎歌 昭和12年

銀杏返し、黒繻子など粋な芸者さんの様子が見えてきます。

どんな髪型なのか、繻子ってなに?など皆さんに聞いてみましょう。

雷門、仲見世、浅草寺など浅草の思い出も話し合ってみましょう。

 

  • 東京だよおっ母さん 野村俊夫作詞 船村徹作曲 島倉千代子歌 昭和32年

3番に浅草が出てきます。みなさんが大好きな曲ですね。

 

 

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「服部良一」と「坂本九」

日本の歌謡界に大いなる影響を及ぼした作曲家「服部良一」と、戦後、テレビ台頭と主にお茶の間の人気者になった「坂本九」のプログラムです。

 

懐かしい写真を見せながらプログラムを進めていきます。

 

視覚刺激は早い反応があり、リアルに当時のことを思い出すことができますね。

 

服部良一は明治40年生まれ。

商人になろうと一度は商業学校に進むも、音楽の道を志します。

ジャズを取り入れ、日本の歌謡界に、西洋の風を吹き込み、和製ポップスの先駆けとなった方です。

国民栄誉賞を授与されました。  

 

 

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笹本恒子

 今回は100歳の現役写真家の笹本恒子さんの著書から

笹本さんの「ひとりで楽しく暮らす、5つの秘訣」を

紹介しながらのプログラムです。

 

右の著書は笹本さんが97歳の時に書いたもの。

それから3年がたち、現在は100歳です。


写真がたくさんありますので、印刷してお見せしながらプログラムをすすめていきましょう。


100歳以上のかたはそういませんから、みなさん、「へ~」「すごいわね」と感心して聞いています。


中には、本を買って読みました、と報告してくれる方もいました。

 

 

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高倉健 幸せの黄色いハンカチ

11月にとても悲しい訃報がありました。

「高倉健」享年83歳。

日本堅気の、そして世界の健さん、

「不器用ですから」

もうこの声聞くことはできません。


でも、私たちは健さんからたくさんの感動を貰いました。

ありがとう健さん、どうぞ安らかに・・


今回は「高倉健 幸せの黄色いハンカチ」というプログラムを作ってみました。


歌唱活動

  • 冬景色 作詞作曲不詳 大正2年

文部省唱歌です。5年生の教科書に載っていました。

1番は湊、2番は畑、3番は野辺の風景を描いています。

唱歌は、季節感や生活感が必ず描かれていますね。

2番の麦踏みのことを問いかけてみましょう。

きっと目を輝かせて解説をしてくれる方がいらっしゃいますよ。


  • 津軽海峡冬景色 阿久悠作詞 三木たかし作曲 石川さゆり歌 昭和52年

同じ冬景色でもこちらは演歌。

青森と函館を結ぶ青函連絡船は今はありません。

やはり年月を感じさせる1曲ですね。

ここで連絡船に乗ったことがあるか、北海道に行ったことがあるか、などお聞きしてみましょう。

そして、これから津軽海峡を渡りますよ、と言ってから歌いましょう。


  • 知床旅情 森繁久弥作詞作曲 加藤登紀子歌 昭和45年

北海道の地図を書いて、函館、札幌、旭川、小樽、知床はどの辺りか説明します。

北海道の美味しいものなども聞いてみましょう。


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李香蘭

2014年9月7日、李香蘭こと山口淑(よし)子さんが亡くなりました。94歳。

今回のプログラムは「李香蘭」。彼女の人生を歌で紹介していきます。

 

李香蘭、さあ彼女は日本人でしょうか、中国人でしょうか?

高齢者の皆さんに聞くと、「中国人」「日本人」と半々です。

 

そんなことから話を始めていきましょう。

 

山口淑子は日本人です。

大正9年、満州で生まれました。

父は満鉄(満州鉄道)社員、母は当時女性では珍しかった大学での才女で、淑子にピアノ、ヴァイオリン、声楽を習わせました。

父は中国語をしっかりと話せるようにし、いずれは政治家になって欲しいと願っていました。

 

右の写真は李香蘭です。目がぱっちり、本当に美しい方ですね。

この写真を見せると、みなさん目を細めて、「きれいね~」「なつかしいわ」と言います。実際に見ることで、リアルに考えることができます。

 

  • 支那の夜 西条八十作詞 竹岡信行作曲 渡辺はま子歌 昭和13年

李香蘭の代表曲はなんでしょうか?と聞いてみましょう。

『支那の夜』『夜来香』と答えた人が多かったようです。

『支那の夜』は渡辺はま子がレコードを吹き込みました。

映画「支那の夜」の中では李香蘭が歌っています。

相手役は長谷川一夫です。

下の映像をお時間のある時にご覧ください。きっと役に立ちます。

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島倉千代子と岩谷時子

島倉千代子さんが亡くなりました。彼女の歌はとても繊細でやさしく、男性にも女性にも受け入れられています。また、作詞家の岩谷時子さんも亡くなりました。岩谷時子は顔は知らなくても名前は知っている方がたくさんいます。生前は越路吹雪のマネージャーをして多くのシャンソンを和訳しました。また、たくさんの歌手に詞を提供しています。今回は「島倉千代子、岩谷時子を偲んで」のプログラムを作りました。

 

 

 

歌唱活動

  • この世の花 西条八十作詞 万城目正作曲 島倉千代子歌 昭和30年

島倉千代子のデビュー曲です。16歳でした。デビュー曲で200万枚レコードが売れました。一躍スターになったのです。今でいえばアイドルですね。

切ない初恋を歌った歌です。歌詞に共感する方が多くいます。中には「私にも好きな人がいたんだけど親の決めた人と一緒になるしかなかった」と話される方がいました。戦争があって希望や夢が砕かれた方も多いことでしょう。しかし、よくよく思いだすと、ちょっぴり切ないけれど今では懐かしく思われることを経験している方も多いのだろうなあ、と感じています。

 

  • 東京だよおっ母さん 野村俊夫作詞 船村徹作曲 島倉千代子歌 昭和33年

19歳の時の歌です。150万枚を記録し、この年の紅白歌合戦に初出場しました。

おっ母さんと手をつないで歩くことを、歌の中で実現することができます。涙される方も多い歌です。

 

  • からたち日記 西沢爽作詞 遠藤実作曲 島倉千代子歌 昭和33年

好きだとも言わずにただ一つの傘の中。自分にもそんなことがあったような気持ちになりますね。

歌の中に台詞があります。一緒に読むのもいいですね。

 

  • おまえに 岩谷時子作詞 吉田正作曲 フランク永井歌 昭和50年 

次は岩谷時子の作品です。歌う前に岩谷時子のことを白板に書きながら少し説明してから歌うのがいいでしょう。

女性は歌い終わるとうっとりしてしまいますね。

フランク永井は低音の魅力と言われ、とても歌唱力があります。ぜひ動画をご覧ください。

 

  • 君といつまでも 岩谷時子作詞 弾厚作作曲 加山雄三歌 昭和40年

岩谷時子は加山雄三の歌をたくさん書きました。弾厚作とは加山雄三の作曲する時のペンネームです。

かつて結婚式の定番ソングでした。歌の中の台詞は有名ですね。これもぜひ動画をご覧になってください。鼻の横をこすりながら恥ずかしそうに言うのが人気でした。

台詞は楽しいので、男性職員にお願いして、参加者の女性に向けて言ってもらいましょう。笑顔でいっぱいになりますよ。

 

楽器活動

  • サン・トワ・マミー 岩谷時子訳詞 サルヴァトール・アダモ作曲 越路吹雪歌

昭和39年

名前やメロディは知っていても歌える人は少ないかも知れませんが、前に立つ人がしっかり歌えば大丈夫です。シャンソンを歌えたことで自信につながります。

いちど歌った後で鈴を配ります。この時、歌詞は剥がしましょう。参加者は楽器にだけ集中することが大事です。鳴らすリズムは「チャチャチャ」です。

「二人の恋は~ チャチャチャ 終わったのねぇ~ チャチャチャ」という具合です。4拍目から入れます。

これだけでは単調になってしまいます。両手で鳴らす、右手、左手と持ち替えて鳴らす、などなどいろいろアレンジして鳴らしましょう。ずっと鳴らし続けるのは疲れますので休みの時間があってもいいかもしれません。

楽器活動については会員登録の上「音楽療法のヒント!」をご覧ください。

 

鑑賞

  • 愛の讃歌 岩谷時子訳詞 エディット・ピアフ作曲 越路吹雪歌 昭和27年

越路吹雪といえばこの歌が真っ先に思い出されます。シャンソン独特の語りのある歌唱を動画でぜひご覧ください。 

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古賀政男

《影を慕いて》を鑑賞&歌唱したところ、あまりに評判がよく、高齢者の皆さんがとてもお好きだということが分かりました。そこで今回は「古賀政男」を特集するプログラムです。明治37年11月18日生まれ、ということで、生きていれば109歳です。生まれたのは福岡県。子どもの頃から大正琴やマンドリンに親しみます。彼が主催した明治大学のマンドリン倶楽部はあまりにも有名ですね。このようなデータを白板に書くと「へ~」と感嘆の声があがります。ぜひ、言うだけじゃなくて書いてください。

今回は古賀政男の初期の曲を集めました。

 

 

 

 

 

歌唱活動

  • 影を慕いて 作詞作曲古賀政男 藤山一郎歌 昭和6年

 バイオリンでメロディを弾きはじめると、歌詞を貼ってもいないのに歌い出す人がいます。一人や二人ではありません。認知症の方もよく歌えます。

古賀政男が26歳の時、デビュー曲です。佐藤千夜子がマンドリンで演奏されたこの曲を良いと褒め、レコードに吹き込みましたが、あまり売れませんでした。その後、藤山一郎が吹き込み大ヒットになりました。それから二人はたくさんのヒットを生みました。

トレモロとはマンドリンの奏法です。質問されたら答えられるように調べておきましょう。

 

  • 丘を越えて 島田芳文作詞 古賀政男作曲 藤山一郎歌 昭和6年

《影を慕いて》は悩める青春の歌でしたが、こちらは明るい希望に満ちた青春歌です。この曲ももとはマンドリンのために書かれました。

藤山一郎の張りのある声がこの歌を一層明るくしています。

 

  • 酒は涙か溜息か 高橋鞠太郎作詞 古賀政男作曲 藤山一郎歌 昭和6年

以上3曲は同じ年に発売されました。どれも大ヒット曲となりました。

こちらは歌詞がたった2行しかありません。行間にある様々な思いや情景を思い浮かべることが大切です。

悲しい恋、誰もが経験できることではないでしょう。しかし、歌はあたかもそんな恋をしているかのように、自分をその歌の主人公にすることができます。

 

  • サーカスの唄 西条八十作詞 古賀政男作曲 松平晃歌 昭和9年

この歌は懐かしがる人が多いです。

高齢者の方々が子どもの頃、サーカスは村や町のお祭りなどの時にやってきて、広場や空き地お寺の境内などにテントを貼って興行をしました。「曲馬団」と言ったと思いだす方もいました。また、《美しき天然》のメロディをクラリネットで吹いていたことを思い出す方もいました。旅芝居、見世物小屋と並び、庶民の娯楽だったのです。

「遅くまで遊んでるとサーカスに連れて行かれるよ」「言うこときかないとサーカスに売っちゃうよ」などと言われたことがある人も多く、切なく懐かしい思い出があふれます。

 

  • 二人は若い サトウ・ハチロー作詞 古賀政男作曲 ディック・ミネ&星玲子歌

 昭和10年

これからの3曲は古賀メロディの中でもとても楽しく明るい曲です。「これもそうなのか~」と皆さん意外に思われるでしょう。
歌詞の特徴を生かしてアクティビティ活動をしましょう。

アクティビティ活動については会員登録の上「音楽療法のヒント!」をご覧ください。

 

 

  • ああそれなのに 星野貞志(サトウ・ハチロー)作詞 古賀政男作曲 美ち奴歌

昭和11年

芸者の美ち奴が歌いました。

歌詞の内容を楽しく話しあいましょう。みんなニコニコして発言も面白いですよ。

 

  • うちの女房にゃ髭がある 星野貞志(サトウ・ハチロー)作詞 古賀政男作曲 

美ち奴歌 昭和11年

こちらも楽しい歌です。「いや 別に 僕は そのあの」のところは台詞のようにして歌う(読む)のがいいとおもいます。みなさんにはこの主人公になったつもりで台詞を読んでもらいましょう。

 

  • 東京ラプソディ 門田ゆたか作詞 古賀政男作曲 藤山一郎歌 昭和11年

1番は銀座の柳とティールーム(今ならカフェですね)、2番は神田とニコライ堂、3番はジャズの浅草、3番は新宿とダンサー、と続きます。東京はいつになっても憧れの町なのでしょう。

歌詞の特徴生かして楽器活動をしましょう。

 

楽器活動については会員登録の上「音楽療法のヒント!」をご覧ください。 

  • 青い背広で 佐藤惣之助作詞 古賀政男作曲 藤山一郎歌 昭和12年

「背広」という言葉が懐かしいですね。今なら「ジャケット」でしょうか。
夢と若さにあふれる歌です。

 

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島倉千代子と同級生

当時の加山雄三です なかなかの美男子
当時の加山雄三です なかなかの美男子

「島倉千代子」、今回は彼女を切り口に意外な同級生つながりのプログラムを考えてみました。

島倉千代子は昭和13年3月30日生まれの75歳です。これを白板に書くと、そこでいろいろな感想が聞こえてきます。「もうそんな歳になったんだ」「まだ若いね~」「私と同い年だ」

75歳になっても現役で歌っているって素晴らしいですね。

 

 

 

 

  • この世の花 西条八十作詞 万城目正作曲 島倉千代子歌 昭和30年

島倉千代子のデビューは昭和30年、17歳の時です。「この世の花」は映画の主題歌で、映画とともに大ヒットしました。当時、身分の違う二人の悲恋という題材の映画は人気があったのでしょう。

初恋ということでいろいろなお話しを聞くことができます。

今年99歳になる男性は「私たちのころは「好きです」なんて言えなかった。やっとのことで映画を見に行く段になっても、一緒に歩くと憲兵につかまるから、道の反対側を歩いたんです」と語ってくれたのが印象的でした。

 

  • 東京だよおっ母さん 野村俊夫作詞 船村徹作曲 島倉千代子歌 昭和32年

この歌はみなさんお好きなようです。おっ母さんの手をひいて東京見物、そのことだけでなんだか心がじーんとしてしまいます。

1番は二重橋、2番は九段坂、3番は浅草観音、とあります。2番の兄さんに逢いに九段に行くという意味を考えてみましょう。兄さんは九段坂を登った先の靖国神社に祀られているということが想像できます。《同期の桜》の歌詞にもありますが、靖国神社の桜には深い意味があります。

 

  • 悲しい酒 石本美由起作詞 古賀政男作曲 美空ひばり歌 昭和41年

美空ひばりは昭和12年5月29日生まれです。島倉千代子とは同級生だったのです。このことはびっくりされる方が多くいました。美空ひばりのデビューは昭和23年でしたので島倉千代子よりも歳上のように感じますね。

二人は仲が良く、ひばりが入院中に面会を許されていたのは島倉千代子ととんねるずだけだったそうです。

ひばりは目に涙をたくさんためて歌います。下の動画をぜひご覧ください。

古賀メロディと歌詞がしんみりと心に訴えかけてきますよね。一度歌った後、「ふう」という溜息があり、「いいねぇ」という声がかかり、もう一回歌おう!ということになりました。

ギターとマンドリンの伴奏が悲しさを増幅させます。

 

  • 君といつまでも 岩谷時子作詞 弾厚作作曲 加山雄三歌 昭和40年

加山雄三は昭和12年4月11日生まれです。意外ですが加山雄三も同級生なのですね。父親は往年の美男子映画スターの上原謙です。加山雄三は作曲家としては弾厚作というペンネームを使っています。俳優としては若大将シリーズの映画を随分撮りました。共演は青大将こと田中邦衛です。

この曲には途中で有名な台詞が入ります。「幸せだなあ 僕は君といる時が一番幸せなんだ・・・・」というものですが、ここは男性の職員の方にぜひお願いしたいものです。女性の参加者がとても喜びます。「しびれる~」なんて言う方もいました。

 

  • ああ上野駅 関口義明作詞 荒井英一作曲 井沢八郎歌 昭和39年

井沢八郎は昭和12年3月18日生まれです。1学年上ですが、今回のプログラムに加えました。

ああ上野駅は中学を卒業後、集団就職で上京してきた若者を歌っています。集団就職についてはこちらをご覧ください。Wikipedia(集団就職)

また、映画「ALWAYS三丁目の夕日」では堀北真希演じる星野六子は集団就職で自動車工場に住み込みで働くために青森から上京してきています。

「金の卵」と言われていたんだよ、と教えてくれる方がいました。

 

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歌う映画スター

あるデイサービスの方から「先生、こんな歌知ってる?」と尋ねられました。

「♪岸の柳は風まかせ 好き~なあの娘は口まかせ え~え~しょんがいな あ~しょんがいな」と手拍子をしながら歌います。

すると、隣の人も「知ってる知ってる」と言い、一緒に歌いだしました。

どんどん広がってみんなが歌います。

まだまだ、私の知らない歌がありました!

ということで、この歌を調べることに。

この歌は高田浩吉という映画俳優が歌った《大江戸出世小唄》というものです。高田浩吉は歌う映画スターの第1号だそうです。

 

映画が今より身近にあった時代。今回のテーマは「歌う映画スター」です。

それぞれのスターの写真を拡大カラーコピーして、それを見せ、反応を見ながら歌に繋ぎます。

 

  • 大江戸出世小唄 藤田まさと作詞 杵屋正一郎作曲 高田浩吉歌 昭和10年

上に書いた歌がこれです。今の高齢者で高田浩吉を知らない人はいません。写真を見せると口々に「高田浩吉」と固有名詞を言うことができます。これには本当にびっくりしました。

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柴田トヨ 詩と音楽

101歳の詩人、柴田トヨさんを偲んで「柴田トヨ詩と音楽」というプログラムを考えました。

 

行ってみると、101歳という高齢ということ、90歳から詩を書き始めたこと、詩の内容を高齢者の方々が自分に置き換えて考えることができたこと、などなどいろいろな要素が加わり、しっとりとした素敵な音楽療法の時間となりました。

必ずみんなで音読をして、詩の意味を共有してから歌に入りましょう。

詩は歌詞と同様、摸造紙に毛筆で書きました。

 

トヨさんの詩をまだ読んでいない方がいらっしゃいましたら、ぜひ一度お読みください。

このほかにもたくさん素晴らしい詩が載っています。

 

詩の音読と歌唱活動

「溶けていく」

ポットから

注がれる

お湯は

やさしい

言葉のようだ

 

私の心の角砂糖は

カップのなかで

気持よく

溶けていく

  • 一杯のコーヒーから 藤浦洸作詞 服部良一作曲 霧島昇・ミスコロムビア歌

昭和14年

4番に「角砂糖2ついれましょか」という歌詞があります。この詞のように温かいコーヒーを飲んだように心も温かくなるような歌です。

 

「化粧」

倅が小学生の時

お前の母ちゃん

きれいだなって

友達に言われたと

うれしそうに

言ったことがあった

それから丹念に

九十七の今も

おつくりをしている

 

誰かに

ほめられたくて

  • 紅屋の娘 野口雨情作詞 中山晋平作曲 佐藤千夜子歌 大正13年

口紅、ほお紅と言いますね。当時のお化粧品はどんなものだったのでしょうか。お聞きしてみましょう。

いつになっても女性は「きれいだ」と言われたいもの、男性の参加者や男性職員に女心を分かってください、と冗談交じりにお話しすると、女性の参加者も男性の参加者も笑顔があふれます。

 

「思い出」

子どもと手をつないで

あなたの帰りを

待った駅

大勢の人の中から

あなたを見つけて

手を振った

 

三人で戻る小道に

金木犀の甘いかおり

何処かの家から流れる

ラジオの歌

 

あの駅あの小道は

今でも元気で

いるかしら

  • あの町この町 野口雨情作詞 中山晋平作曲 大正14年

今回の詩の中で一番参加者の涙を誘ったのがこの詩でした。

家族三人の幸せそうな姿、顔が目に浮かびます。金木犀の香りを思い出します。そういえばこの頃はラジオしかなかった。

私たちの幸福とは結局こういう瞬間なのではないか、と考えさせられました。

 

「朝はくる」

一人で生きていく

と 決めた時から

強い女性になったの

でも 大勢の人が

手をさしのべてくれた

素直に甘えることも

勇気だと わかったわ

 

(私は不幸せ・・・)

溜息をついている貴方

朝は必ずやってくる

 

朝陽も

射してくる筈よ

  • 朝だ元気で 八十島稔作詞 飯田信夫作曲 柴田睦陸・藤原亮子歌 昭和17年

ラジオ歌謡の1曲です。私は子どもの頃学校で歌った記憶があります。その時は歌詞の一部が変更されていましたが、音楽療法ではオリジナルのほうを歌いましょう。

最初の部分を歌うと、思い出して次々と歌声が広がります。

 

「先生に」

私を

おばあちゃん と

呼ばないで

「今日は何曜日?」

「9+9は幾つ?」

そんなバカな質問も

しないでほしい

 

「柴田さん

西条八十の詩は

好きですか?

小泉内閣を

どう思います?」

こんな質問なら

うれしいわ

  • 蘇州夜曲 西条八十作詞 服部良一作曲 李香蘭(渡辺はま子)歌 昭和15年

私たちもこの詞を読み姿勢を正さなくてはいけません。

とても美しい詩とメロディのこの曲は鑑賞として演奏してから歌うのもいいですね。私はヴァイオリンで演奏してから歌唱しました。

 

「くじけないで」

ねえ 不幸だなんて

溜息をつかないで

 

陽射しやそよ風は

えこひいきしない

 

夢は

平等に見られるのよ

 

私 辛いことが

あったけれど

生きていてよかった

 

あなたもくじけずに

  • ここに幸あり 高橋掬太郎作詞 飯田三郎作曲 大津美子歌 昭和31年

この詩で震災に遭われた方が随分救われた、とききました。

この歌は男性も女性も大好きです。今回の音楽療法の最後にふさわしい曲ではないかと思います。

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「森光子」

「森光子」さんのプログラムを考えてみました。

 

森さんは大正9年生まれ。
施設には同じ年の方がたくさんいらっしゃいました。

ご自身の人生と照らし合わせて受け止める、そんなプログラムとなりました。

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「ペギー葉山」

ペギーさんは2012年が歌手生活60周年でした。

昭和8年生まれ!

まだまだ現役歌手として頑張っています。

 

そこで今回のテーマは「ペギー葉山」にしました。

 

ペギーさんは長く歌っていられる秘訣を3つあげていました。

①早寝早起き、規則正しい生活

②美味しいものを食べること

③お友達と楽しくおしゃべり

このことを話しますと、参加者の皆さんは興味深く聞いています。

デイサービスなどでは、「デイサービスに来ると①から③まですべて満たしますね~」と話し、デイサービスへ行く意味を感じていただきましょう。
また、何時に寝て、何時に起きるかを一人ひとり聞いてみるのもいいでしょう。

 

 

歌唱活動

  • 南国土佐を後にして 武政英策作詞作曲 ペギー葉山 昭和34年

高齢者なら誰でも知っている曲のひとつです。

ペギー葉山はこの曲の大ヒットで名誉高知県人となりました。

坊さんとかんざし、はりまや橋、桂浜など楽しい話題提供ができますね。

 

  • 学生時代 平岡精二作詞作曲 ペギー葉山 昭和39年

ペギー葉山の代表曲は何と言っても《南国土佐を後にして》ですが、あるデイサービスで「ペギー葉山の代表曲ってなんですか?」と訊いたら《学生時代》と発言された方がいました。

こんなとき、その方のライフ・ヒストリーを垣間見ることができます。

ペギー葉山は青山学院中学と高校で学んでいます。

 

  • 母さんの歌 窪田聡作詞作曲 ペギー葉山 昭和33年

ペギー葉山はNHKの「みんなのうた」でもたくさん歌っています。

この曲は季節外れですが、ペギー葉山のレパートリーの広さを伝えるために歌ってみるのもいいでしょう。

「わら打ち」「あかぎれ」などに反応し、「昔は俵を編んだよ」などと、苦労された話しを聞くことができます。

 

  • 白虎隊 島田磬也作詞 古賀政男作曲 藤山一郎 昭和12年

ペギー葉山は広島市出身です。と言えば、はっと気づく人もいるでしょう。

しかし、原爆のその日は、祖父のいる福島県に疎開していて助かったのです。

祖父は会津で育ちました。白虎隊に所属していましたが、14歳だったので戦争に行きませんでした。

そんなエピソードをお伝えしながら歌いましょう。

 

  • 荒城の月 土井晩翠作詞 滝廉太郎作曲 明治34年

会津の鶴ヶ城(若松城)は『荒城の月』のモデルと言われている城のひとつです。

 

  • 湯之町エレジー 野村俊夫作詞 古賀政男作曲 近江敏郎 昭和23年
  • 誰か故郷を想わざる 西条八十作詞 古賀政男作曲 霧島昇 昭和15年

ペギー葉山の自宅は古賀政男のお隣だったそうです。

しかし、二人は違うレコード会社に所属していたので、共演は叶いませんでした。

古賀政男の曲を歌いましょう。

 

 

歌唱と楽器活動

  • ドレミの歌 ペギー葉山作詞 Richard Rodgers作曲 ペギー葉山 昭和36年

アメリカ映画「サウンド・オブ・ミュージック」の中の1曲です。
ペギー葉山がアメリカでこの歌を聞き、作詞をして日本に紹介しました。

それ以来、日本全国老若男女に親しまれています。

高齢者ももちろん歌うことができます。

ベルを使って楽器活動をしましょう。 

 

楽器活動については会員登録の上「音楽療法のヒント!」をご覧ください。

 

 

鑑賞・楽器活動

  • ラ・ノビア ホワキン・プリエート曲 

チリの作曲家ホワキン・プリエートが作曲し、アントニープリエートが歌ったものをペギー葉山がカヴァーしました

とても綺麗なメロディです。

私はヴァイオリンで演奏した後、ベルの和音奏をしています。

演奏すると、知っている方がハミングをしていました。

楽器活動については会員登録の上「音楽療法のヒント!」をご覧ください。

 

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「ザ・ピーナッツとその時代の音楽」

今回は先ごろお亡くなりになったザ・ピーナツの伊東エミさんを偲んでのプログラムを考えてみました。

テーマは「ザ・ピーナッツとその時代の音楽」です。

昭和30年代は皇太子ご成婚、東京タワー開業、首都高建設、東京オリンピックと、いろいろな話題がありますので、話が弾みます。中には「子育てで忙しくてそれどころでなかった」と言う人もいますが、何か楽しかった思い出があるはずです。いい思い出を引き出し、その場の方々と共有しましょう。

映画「ALWAYS 3丁目の夕日」をご覧になるとこの頃の日本の様子がわかるかもしれません。

http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id322281/

 

歌唱活動

  • 恋のバカンス 岩谷時子作詞 宮川泰作曲 ザ・ピーナッツ歌 昭和38年

ザ・ピーナッツの曲はたくさん耳にはしていますが、高齢者の方にはこの歌が一番歌いやすいように思います。

始めの部分を歌ってみて、あまり歌声が無いようでしたら、皆さんがよく知らないながらも「歌えた」という満足感を得られるように、Thが率先して歌を引っ張っていきましょう。

ザ・ピーナッツはテレビの創成期に活躍しました。家に初めてテレビが来たときのこと、その頃のテレビはどんな形だったのか、どんなテレビ番組があったのか、などたくさんの貴重な話が聞けます。

 

  • ソーラン渡り鳥 石本美由起作詞 遠藤実作曲 こまどり姉妹歌 昭和36年

こまどり姉妹も双子の歌手です。

ザ・ピーナッツはポップス中心歌手だったのに対し、こまどり姉妹は民謡や演歌の歌手でした。

この歌は途中に《ソーラン節》の一節が入っていますが、これがとてもいい味を出しています。

高齢者の方々にはザ・ピーナッツよりも馴染みがあるかもしれません。

 

  • 北上夜曲 菊池規作詞 安藤睦夫作曲 多摩幸子/和田宏とマヒナスターズ歌

                                   昭和36年

ザ・ピーナッツもカバーしていたようです。

北上川の河原で星を眺めている初恋の二人。歌詞を読むとロマンティックな気持ちになります。

初恋の秘話が聞けるチャンスかも!

 

  • 若い二人 杉本夜詩美作詞 遠藤実作曲 北原謙二歌 昭和36年

「若い二人には夢がある」誰にでも若い頃はありました。
高齢者の皆さんにも夢があったはず。多くは語られませんが、なにかステキなお話しが聞けるといいですね。 

 

  • 女ひとり 永六輔作詞 いずみたく作曲 デュークエイセス歌 昭和40年

「三千院」には「結城に塩瀬の素描きの帯」、「高山寺」には「大島つむぎにつづれの帯」、「大覚寺」には「塩沢がすりに名古屋帯」の恋に疲れた女性がたたずんでいます。

女性の方にはお着物に詳しい方がたくさんいらっしゃいます。いろいろと教えていただきましょう。

 

楽器活動

  • 可愛いベイビー D.Stirling & B.Nauman作詞作曲 漣健児訳詞  中尾ミエ歌

                                    昭和37年

CDに合わせ、サウンドシェイプ組としゃもじ組に分かれて合奏をします。


楽器活動については会員登録の上「音楽療法のヒント!」をご覧ください。

 

  • 見上げてごらん夜の星を 永六輔作詞 いずみたく作曲 坂本九歌 昭和38年

ベルの和音奏、中間部はメロディの独奏とするのがいいでしょう。

歌唱したい歌なので、ベルの和音奏の後歌唱するのもいいでしょう。

 

楽器活動については会員登録の上「音楽療法のヒント!」をご覧ください。

 

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「黒田官兵衛」のプログラム

今年最初のプログラムは大河ドラマの主人公「黒田官兵衛」です。

今まで、お正月の定番として歌っていた『黒田節』が黒田官兵衛と深い関係があるとは全く知りませんでした。歴史と歌はとても結びつきが強いですね。

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